上映会「美味しいごはん」@都留で思ったこと
photo by yukari
上映会終了
本日、無事に上映会「美味しいごはん」@都留 の会が終わりました。
今回開催に至るまで主催者の石澤瑞穂ちゃんを初めとする都留文科大学の学生さん達がメインで動いてくれていました。会場は昨日まで田舎フリーランス養成講座で使われていたコワーキングスペースTeraco.
チラシを作り、自ら歩いて配り、当日は会場を整えてから皆さんを迎える。皆さんの熱意に脱帽です。
語り合いの場で
様々な年代の人たちが集まって、映画を観て、おむすびとお味噌汁を食べながら自分の想いを語りあいました。
語り合いで出た意見でみんながうんうん頷いていたことが
「昔は今目の前にある物体に対してその存在自体を、どういう人がどういう状況でどのような想いを込めて作ったのか、、、と感じて、見える存在以上の事を感じ取って捉えていたけれど、
現在は大量生産の影響もあり、「モノ」としてしかとらえなくなってきていることが多い。」ということ。
それは物体だけでなく、食べ物、究極は「人」に対しても「モノ」と捉える事がある気がします。
その違和感に何かがおかしい、大切なことは何だろう??と気づいている人が増えて、今回の上映会のような共感できる場が増えていると思います。
ここからは私の見解
「目に見えることと同じくらい、もしくはそれ以上に目に見えないことが大切。」
それはスピリチュアルな世界の事ではなく、日常生活の中に普通に存在すること。
今日の参加者さんの中に、都留で活躍する有機農家さんがいらっしゃいました。
彼女は映画の中に出て来る「光を食べる」という表現から関連して、野菜やお米の事を「光の結晶」と表現していました。
毎日畑と田んぼに向き合い、太陽と土と水と空気の中で、謙虚に稲と野菜を育てています。
私には彼女の言葉が、いつもスッと心に入ってきます。
幸い、私の周りにはこの方のように自分の手でお米や野菜を育てたり、自分の手で暮らしを作りながら地域の人たちとしっかりと繋がって暮らしている人たちが多いです。
みんなスピリチュアルな世界の事について話すことは無いけれど、基本的に優しい。
日々の暮らしの中で自然と思いやりや感謝を、お礼や手伝いや関わりの中で表現しています。
私自身の心遣いの無さや、いい加減さに気付いて凹むくらい・・(笑)
この心地良さは何なのだろう・・・?とよく思います。
よくいう「地に足着いた暮らし」というのか、目の前の暮らしを淡々と生きているというのか
常に相手を思い暮らしている感じです。
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書いていて結局何が言いたいのか、纏めていいか分からなくなってきました。
・・・・・・
で、纏めると、
私に今出来ることで周りの人たちを幸せに出来ること
☆ごはんを作る
☆自分のお米を自分で育てる
☆お米作りを体験できる場所(よっかいちば田んぼ)を整える
☆自然の中で暮らす体験の場(へぐりお)を整える
これなんだな。